コトノハデカダンス

まず百川リサさんがリンクもスターも付けるな(それも大量と言う訳では無い常識的な範囲内である)、といわれるのでその通りに従おうと思う。俺は百川さんを批判している訳で別に嫌がらせをしている訳では無い、と言う事をここに明記しておきたい。俺のしたいのはただ批判だけなのである。それは自分の「表現の自由」「思想・良心の自由」を重視したいがためで――俺は憲法を絶対のものとしないが――百川さんのその権利を弾圧している訳ではない。
それから別に批判専用のためにこの場を設けた訳では無い、ということを長らくの読者は分かっていただけるのではないだろうか。スパムメールを送った事実もない。百川さんに送ったメールは一通だけである。もともとはてなでは議論などが盛んに行なわれているし、攻撃的な発言が行なわれる風潮もある。だが俺はそういう風潮に棹を差したい訳ではなく、これは一言物申しておくべきだなと思っているから書いているのである。
まずこの場合百川さんは子供のころに考えていた事を、批判せずに正しい事として書いておられる。ということは今も正しいと思っておられる事になるでは無いか。
実際百川さんも書いておられる。

小学生のころの「言いえて妙/目から鱗」という分類が決して間違っているとは思ってはいない。それが確かに稚拙であるということは何度も述べたが、間違いではないと思っている。

前の記事でも書いたとおり「レトリック」は「言い得て妙」や「眼から鱗」などと言うものとは全く違うのだから、それを話の枕においている時点でそれは間違いなのだよ、と俺は言っているのだが。
間違った事を前提にしている以上、今どれだけ「レトリック」に詳しくなったよ、と言われても随分と怪しいものがあるじゃないか、ということだ。子供の頃にした分類が間違っているのに、それを正しいと言い張るのだから、それから後の発言も間違っている可能性があるじゃないか、ということである。
おかしいというならその後にある「リアリズム作家」「前衛作家」という安易な区分けもおかしい。少なくともまともに文学を勉強したことがある(それは文字通り作品を読む、作家の事を知る、ということである)者ならば、このような安易な区分けをちょっとでも持ち出して語る事自体慎むようになるからだ。そしてある作家の「レトリック」を云々するからには、その小説全体の効果を論じなければならない(ご存知の通り、その場の「レトリック」というのは作品全体を読まないと、違った意味で取り違えてしまう可能性があるからだ)筈なのにそれも怠っている。だから俺は齋藤美奈子や池田晶子ならば大丈夫だ、といっているのだ。まぁその怠惰もわからないではないが。それほど小説を読むと言うことは大変だ。小説家の「レトリック」に言及している以上、小説は語っていないんです、「レトリック」についてだけ語っているんです、と言い切ること自体に随分と無理があるのではないだろうか。だから俺は批判したと言う訳だ。「小説認識」の甘さが「レトリック」に対する認識の甘さを生むのであろう。子供だから、で許される訳はない。幼稚だったと思っているのならば黙っておけば済む事だ。思い出せば恥ずかしいことなど沢山あるだろうから。わざわざ持ち出して語っている時点でそれを肯定していると言う事になるではないか。
確かに百川さんが意見を言う権利はある。だがその意見が間違っていると思った場合それに反論する権利が俺にはある。
まぁ確かに最初に書いた文章が攻撃的だったことは認めよう。だが、百川さんの書いた文章を幼稚だと思った事は確かであるし、また高慢だと思った事も事実ではある。そして今でもそれは変わっていないわけだ。

追記:普段から好きな事垂れ流しているくせに「ご連絡」とか畏まりやがってよう。笑っちまうぜ。

追記2:全く「ストーカー」とは大きく出た話だなw