パクリのid:lain06 3

lain先生が復帰されたようだ。微笑ましいことである。
早速記事を新たに追加されたようだが、それもいささか怪しいものがある。
それはそれで置いておくことにして、かつての記事を検討しておこう。

ドイツ表現主義の先駆者、不条理演劇の先駆者として評価されている。
ハノーファーで医師の父と女優の母のあいだに生まれる。少年期を主にスイスで送った。青年時代はボヘミアン的生活を送り、父が遺した莫大な財産を浪費した。
フランク・ヴェーデキント - Wikipedia

代表作である戯曲「春の目ざめ」、ファム・ファタル、ルルを主人公とした二部作「地霊」「パンドラの箱」(岩波文庫)は、いまだに瑞々しさを失わず、映画化、舞台化され続けている。
その強烈な個性は、トーマス・マンブレヒトに大きな感銘を与えた。
http://www.amazon.co.jp/dp/product-description/4898151868

これが、先生の手に掛かるとこうなる↓

ヴェデキントは本来、ドイツ表現主義の先駆と称された不条理演劇の作者であり、『ミネハハ』ではなく『春の目ざめ』、二部作『地霊』『パンドラの箱』などが欧米だけでなく日本でも、繰り返し舞台演劇として上演されてきた。若いころは放蕩な生活を送り、父の遺産を浪費していたのだが、劇作家となった後は様々な作品を生み出し、ブレヒトトーマス・マンにも大きな影響を与えたとされている。
http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/50976686.html

続いて、

このうち、『地霊』と『パンドラの箱』(ルル二部作)は、アルバン・ベルクにより作曲され、歌劇『ルル』となった。『春のめざめ』は少年少女の性の目覚めによる悲劇、ルル二部作はファム・ファタールを主人公とした作品で、いずれも人間の性欲の問題をテーマとしている。
フランク・ヴェーデキント - Wikipedia

が↓になる。

『エコール』では『ミネハハ』の、少女の性の目覚めと身体運動というテーマを前面に押し出していたが、『ミネハハ』だけでなく、ファム・ファタールを主人公にした『地霊』『パンドラの箱』および二作を歌劇化した『ルル』、少年少女の性の目覚めによる悲劇を描いた『春の目ざめ』と、ヴェデキントの作品は人間の性欲をテーマにしたものが多い。
http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/50976686.html

さらに粉川哲夫の文章でさえ、lain先生は使用されるのである。

◆フランク・ヴェデキントの短編を下敷きにしているというが、ヴェデキントの社会性はない。ヴェデキントの作品は、検閲を受けたり、発禁になったりしているが、この映画にはそういうヤバさは皆無。監督は、ヴェデキントのそういう面を引き継ごうとはしていない。実は、ヴェデキント自身、社会批判のために例えば、『春のめざめ』を書いたわけではない。社会風刺のトーンが強い雑誌『ジンプリチスム』を創刊しているヴェデキントだから、ラディカルな社会意識の持ち主であることは言うまでもないが、劇作と小説で彼がやったことを本当に評価するとするならば、しばしば、「表現主義への道をひらいた」と言われるように、ヴェデキントにとって、セックスや「ロリコン」は、表現の強度を達成するための素材であって、彼は、いわゆる「社会派」の作家が「社会」の偏見や保守的な慣習を糾す(ただす)ためにそういう表現を用いたのではない。
粉川哲夫の「シネマノート」

これをlain先生は華麗に書き換えられる↓

彼が不条理演劇の先駆けといわれた理由は、性的なテーマに社会性をまとわせていたためでもある。そして、彼の作品は発禁や検閲を食らったものもある。ラディカルな社会批判的意識の持ち主であり、社会風刺雑誌『ジンプリチスム』に参加していたことを考えても、作品に様々なアイロニーを込めていたことは間違いない。しかし、彼は社会派と呼ばれるほど政治性を前面に押し出したわけではないだろう。彼が作品内で用いたエロチシズムやロリータの要素は、ドイツ表現主義へと通じる幻想的な表現の強度を加速させるためだったような気がする。
http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/50976686.html

終いにこれである。

映画のフィルムのようなテンポの早い連鎖で、思春期の少年少女の内に潜む獣性と本能を残酷なまでにえぐりだした、青春の目覚めと死。社会道徳との衝突の痛ましい悲劇。1890年発表当時、非道徳的なる悪戯と非難を浴びた、問題作。

希望と不安の入り交じる性の衝動に心弾ませ、悩みながら、学校の勉強にも追い立てられる日々を過ごす少年少女達。
(中略)
感化院に送られたメルヒオールはそこを脱走するが墓場に迷い込み、ヴェンドラの墓を発見する。彼女は世間体を気にする母の手配した堕胎に失敗して死んでいった。そしてそこに友人のモーリッツの亡霊があらわれ死に誘われるが、そこに登場した仮面の紳士によって再び生の世界へと戻される。

串田和美とオーディション・ワークショップで出会った、演技的背景の異なる様々なジャンルの俳優陣がワークショップ形式の稽古で出てきたアイディアを軸に、特別な衣裳、装置を極力排し、観客のイマジネーションを総動員させる実験的なスタイルで上演。
http://www.tpt.co.jp/archives/archives/024.html

これを自由自在にlain先生は自分の文章にしてしまう↓

『ミネハハ』と並び、個人的に好きなヴェデキント作品は『春の目ざめ』だ。この作品は映画のように連鎖が素早く、思春期の少年少女の性欲があらわにする不能と蛮性を描き出している。1890年に発表され、当時の社会道徳と激しく衝突して批判を浴びた作品だ。性の衝動と社会の規律、学校の勉強などの中で、アンバランスな日々をすごす少年少女たちの姿がなんともみずみずしくも痛々しい。少年少女の性の過ちが招く悲劇も痛々しい。堕胎、生と死の境といった重々しい素材がイマジネーションを刺激する。
http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/50976686.html

省略と水増しこそが、剽窃の最大の秘訣、ということである。以上この文章にはlain先生オリジナルといえる箇所はほとんどない、という結論に到らねばならない次第である。