討匪行――kagami(ねこねこ)さんの作品利用に疑義を呈す

ねこねこブログ : 世界的な景気後退局面において日本が財政出動で世界景気を牽引することは不可能だと僕は思います。これから日本が、特に貧困層がどうなっていくのか、僕はとても不安でお腹が痛いです。 - livedoor Blog(ブログ)
さて、ねこねこさんが「討匪行」を引用しておられる。だがこれもおかしいと思えるものである。
まず何故手塚治虫の漫画から、引用する必要があるのだろうか。討匪行の歌詞全文はネット上で読む事が出来る。
作詞者の八木沼丈夫氏は1944年に亡くなっており、著作権保護期間は満了している。という事で全文を載せているページを掲載する。
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/tohiko.html
ねこねこさんの妙な所は嘗ての記事で紹介したスティングの歌とこれを同じものだと考えているところである。スティングの歌は見れば分かる通り反戦メッセージが込められたものであることは明瞭である。対する「討匪行」は「軍」歌である。確かに討匪行の歌詞を反戦的な読み方もできるという意見がある。だが最終番の、

十五、
亜細亜に国す吾日本
王師一度(ひとたび)ゆくところ
満蒙の闇晴れ渡る
満蒙の闇晴れ渡る

などから見て、結局はこれが前線で苦しむ兵士の心を歌ったものであり、旧日本軍讃美の歌であったと考えても間違いはないのではなかろうか。
手塚はこの曲が「軍」歌であると説明はして居ないようだ。つまりは手塚治虫が(この漫画家と共産党との結びつきは知っている人は知っているだろう)読者に誤読を促す書き方を行ない、「軍」歌である「討匪行」を反戦歌とも誤読できるように書いているのではないか、という疑念が沸き起こってくる訳だ。
それを批判精神もなく引用するねこねこさんもねこねこさんだろう。ましてやこの場合は文章が省略されており、原文の意味とはまた違った風に読ませようとしている可能性も残る。そして、知る限りではこれと似たような事をねこねこさんは何度もやってきている。
大日本帝国と今の日本国はイコールで繋げられる訳が無い。ナチス・ドイツとも繋げられる訳は無いのだ。確かに変わらない部分は存在しているとしても。
そしてさらに個人的な感想を言うと、このように小説・漫画作品を使って己の思想を補強するとするのは愚劣な読み方であると思う。こう言った事もこれまでねこねこさんは繰り返し行われているようだ。



追記すれば、「討匪行」を反戦歌だと思っている連中の多さである。反戦、などと言うのは今から当時を眺めて言えるのであって、その時分はそうでなかった、という事は十分にありえるだろう。昔の作品を今の観点に立った読みで自説の補強に使うことは時としてはしようのないことであっても、自覚がないのは愚劣に過ぎるのではないだろうか。