海燕さんは文学(でもある)。

「「つまらない」と書いてはいけない啓蒙運動」は実在しません。 - Something Orange

書いてはいけないとはいっていっていないじゃん。

ここで前項で書いた、

見たい見たい
キャラ萌えリテラシー。 - Something Orange

を思い起こしていただきたい。今回はそれよりもさらに高度な技法が使われているのである。

いっていっていない

という用法は本来の日本文学の韻律から外れている。だが、ラテンアメリカ文学として見ればどうだろうか。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

追跡 (叢書 アンデスの嵐)

追跡 (叢書 アンデスの嵐)

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)

亡き王子のためのハバーナ (ラテンアメリカの文学 (15))

亡き王子のためのハバーナ (ラテンアメリカの文学 (15))

ボマルツォ公の回想 (ラテンアメリカの文学 (6))

ボマルツォ公の回想 (ラテンアメリカの文学 (6))

ラテンアメリカ文学から影響を受けたという奔放な文体と衝撃的な展開
桜庭一樹転生。 - Something Orange

至極当然の事ながら、海燕さんはこれらの作家より上位に位置する事は言うまでもない。その様な事は海燕さんも、とっくの昔に自認しておられることである。

ラテンアメリカ文学の巨匠なんていってもそんなものです。(中略)世界文学なんていってもね、実態はこんな感じですよ。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060527/p4

ボルヘスマルケス何するものぞ
■ - Something Orange

何度も言っているとおり、海燕さんは唯一神である。たかだかラテンアメリカの作家が束になって掛かってきても叶う訳はない。事実、

書いてはいけないとはいっていっていないじゃん。

この文章だけで殆どの作家を凌駕してしまっているのである。有史以来、数多の作家たちが言葉で積み上げてきたバベルの塔を、海燕さんはたったの一行で崩落させる事に成功しているのである。まして、海燕さんの得意分野は文学だけではない。それこそ「オレンジの何か」内を検索して貰えば分かるように、森羅万象、ありとあらゆる書物の中から、これだけはというエッセンス(それがどれだけ素晴らしいものであったとしても、海燕さんに叶う訳がないのだが)のみを選び出す賢明さは、最早神の域すら越えていると言っても過言ではない。早い話が海燕さんが取り上げない書物は読む価値もない。取り上げた本とて海燕さんの存在を超えるものはない。何を前回を同じことをと思われるかもしれないが、真実は必ず一つだけである。その一つだけを押えれば、世界の仕組みは解き明かされるのである。

主張しています。

海燕さんに主張などは必要ない。海燕さんの口にした事は全て真実だからである。

書いていません

海燕さんが書いていないことも理解する賢明さが、衆生には必要なのである。書いていることしか読み取れない、と言う事は甚だしく拙い。書かれてあるだけに囚われていては、分からないこともあるのである。

Amazonだろうが個人サイトだろうが、「つまらなかった」と書きたければ書いても良いと思います。しかし、そう書かなければいけない必要性があるとは思いません。

書く、と言う事は責任の問われる事でもあれば、また好き勝手にどうでも良いようにできるものでもあるという事実を海燕さんは既に看破されているのである。物事は二面性どころか複面性を持ち、複面性を持つこと自体がただ一つの真実であると言う事を海燕さんは理解されているという事になる。

「ぼく」は一人じゃないと思うんですよ。複数の相互に矛盾した人格が存在して、せめぎあっている。(中略)人間って、多かれ少なかれその種の矛盾を抱えているのではないでしょうか。だからこそ「あいつはこういう奴だ」なんて簡単に決めつけられない。だから人間はおもしろい。
役立たずなものほどおもしろい。 - Something Orange