やはりカイエニズムは存在した――海燕さん座談会閲覧記1

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海燕タイタニック』やっている。

全てはタイタニックより始まる。最早ここで言う「タイタニック」はその音を失して、海燕さんの存在を一層強化し色付けるものでしか過ぎないというのに、全ての始まりにこの単語を置くということで座談会の開始をアピールしている事になるのである。

西鶴 テレビは久しく見ていないです。爆笑問題の日本の教養以外は。
海燕 あれは良い番組ですね。
西鶴 面白いですよね。あり得ない質問を太田がしてくれる。

単なる相槌を打つようで、その存在をめり込ませている。もちろん爆笑問題をである。海燕さんと言うフィルターを介してしか爆笑問題などは存在しえず、「良い番組」などというものもまた存在し得ない。海燕さんが誉め認定する事によって、そのレゾンデートルを与えられるのである。

海燕 話を聞きに行っているのに太田のほうがよくしゃべる(笑)。
西鶴 太田、喋りすぎですよね(笑)。

ここで言う「太田」は単なる記号にしか過ぎず、ここで示唆されていることは海燕さんのことである。海燕さんがその多大な饒舌をもって一世を風靡した事はその道の方なら誰でもご存知のことであろう。海燕さんによって語られる話は全て自己の置き換えに過ぎず、自己が評価した物に投影される。そしてその投影された自己が対象物にとっての真実へと変貌するのである。
だが、海燕さんは最近調子がお悪いようだ。

海燕 最近、日記もあまり更新していません。
西鶴 なんか、意図されない読み方をされると、更新意欲が下がりますよね。
海燕 最近下がりっぱなしです。

これは海燕さんの雑記がどれほど巷の人に影響を与えるかということを明瞭に示している。海燕さんが下がれば皆が下がらねばならず、意図されざる読み方をする必要はないのだ。海燕さん自身は二面性を持つという事を認められているようである。これは海燕さんが何度も繰り返される事である。それはこの座談会でも明らかにされる。

海燕 ぼくはわりとひき裂かれているんですよね。いろんなおもしろさがあっていいという考え方と、やっぱり良し悪しがあるだろうという考え方と。

だがそれは海燕さんだけのことであり、他の単なる衆生は一切考える必要は無い、と言う訳だ。海燕さんが文章に込めた一つの意味を邪推して曲解するのは断じて許されざる事である。これは海燕さんとは別人の発言であるが、模範的カイエニズムの徒だと言わねばならないだろう。

海燕 ああいうのどうでもいいし。

不毛な言い争いについて海燕さんが下された一言である。海燕さんにとって見れば、すべては「どうでもいい」ものなのである。恐れ多くも代弁するなら、「それなのにぼくは構ってやっているでしょ、だから何かお礼を下さい」とでも言う所だろうか。当然ながらこれは海燕さんしか言ってはならない言葉であり、カイエニズムの真髄でもある。

海燕 ぼくは最近何をやるにも気力がないです。 小説もあんまり読んでいないしなあ。だからネタがない。更新頻度も落ちる一方です。
烏蛇 ネタがない、ってのはなぁ。
海燕 まあ、ネタがないものを無理に更新してもつまらないし。
烏蛇 書きたいことがあって更新するのが常道だと思いますし。
海燕 そりゃそうなんですけどね。あと、まあ、サイトが大きくなりすぎたってのもある。

ここで海燕さんが語る「サイト」と言うのはもっと大きなものととっても良い。海燕さんの認識が及ぶ、あるいは及ばぬ所のすべてが、「サイト」であると言うのである。何処までも大きくなりつづける世界に明らかに海燕さんは飽きれ返っているのである。対応出来ないと言う事は決してなかろう、だが海燕さんの神託を守ろうとせず、叛逆しつづける不貞の輩は何時までも存在しつづける。海燕さんの雑記が停止しては、この世界はとんでもない事になると断言せねばならない。カイエニズムは存在せねばならぬのだ。
カイエニズムとは海燕さん以外には完全に使いこなす事が出来ないものである。どれだけ熱心なカイエニズムの徒であろうと、海燕さんの代わりにはけしてならない。

海燕 ファンタグレープ。

最後に冒頭提示されたタイタニックが、座談会中、海燕さんが財布を探しながら、購入したファンタグレープと見事にかみ合うこの一文を引いておきたい。海燕さんは既にこの段階で、カイエニズムを張り巡らされているのである。即ち「ファンタグレープの海に沈み行くタイタニックを見るぼくはそこに感情移入をしているのだ、だから皆感動しなさい」ということである。